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シネマレビュー

ミステリーの王道とは、アガサクリスティ「ねじれた家」

王道のミステリーが観たくて「ねじれた家」を選びました。
実はアガサクリスティーはちゃんと読んだ記憶がありません。

何度も映画化されるのを見る限り、長く愛され続けているミステリー。ミステリーがここまで息の根が長いとなると、傑作であるから、としか言いようがありません。ミステリーこそ一度トリックが分かれば終わり、と思えるものはないというのに。


 

元外交官で現在は私立探偵をしているチャールズのもとに、別れた恋人ソフィアがやってくる。
彼女は富豪の孫娘で、祖父のアリスタイドが先日亡くなっていた。
警察が動く前に、殺人が疑われる祖父の死の真相を探って欲しいと頼まれるチャールズ。
結局屋敷に出向くことになったチャールズは、大邸宅に共に過ごしている大家族の、凡人とは違う感覚に戸惑いながらも、話を聞いていく。


登場人物が、祖父、祖父の若い後妻、長男一家、次男夫婦、メイド兼乳母、大叔母、孫の家庭教師・・・とかなり忙しなく行き来して、最初は誰が誰だか混乱しました。

少し前に、ダニエルクレイグ主演の「ナイブズアウト・名探偵と剣の館の秘密」を観たときに、どなたかがアガサ作品と近いものがある、と評していましたがようやくその意味がわかりました(監督自身もアガサ作品のような映画を撮りたいと発言されているよう)。

大富豪の死、大邸宅、そこに住む一族、少しずつ秘密を持つ家族、深まる謎、そこにポツンと私立探偵がやってきて事態が動き出す、この仕組みはそっくりです。

ナイブズアウトのときには、名探偵と言いながらもさほどヒラメキも活躍もないような主人公にやや不満がありましたが、今回の私立探偵チャールズも話を聞き回ってはいるけれど、芳しい収穫もないまま、事件の真相のカギを握るのはソフィアの妹のジョセフィンである、という流れになっていき、両作品は少し似てるなと途中から感じ始めました。

ゆえに、今度こそ「これは王道のミステリーの形なのだ」と納得しました。

名探偵と言われると、「わかったぞ!」と指を立てて解説・・・というのが期待されるパターンで、ときには「そんなことまで!」と目を見開くほどに、犯人の心情や動機までを見事に推察したりするものですが、本来色っぽい名探偵の役目と言えば、誘惑され、人々をざわつかせ、事態を動かす刺激剤なのでしょう。
探偵が翻弄されればされるほど、事態は展開していくのです。

そういう意味では、チャールズを演じたマックスアイアンズはもう色気ダダ漏れで、未亡人である若妻からも色目を使われる始末。チャールズ本人は、訳ありで不仲になったソフィアに未練たらたらで隙あらばキスしようとするそぶりを隠そうともしない。

事件の真相はやや衝撃が残るものの、そこまでトリックが複雑ではありません。
ちょっと言いっぱなし感ある呆気ないラストではありましたが、チャールズの魅力がいかんなく発揮されていて、女性目線では満足のいくものでした。

捜査に科学捜査などの技術もなく、個人情報が今ほどうるさくない頃のミステリー。
そう思うと、現代の刑事ものフィクションは狭い枠の中で作らなければならない制約があるのだなとつくづく思います。
王道の名作ミステリーは現代に置き換えると齟齬が目立ち、ある程度その時代の設定にしないとトリックすら成立しないこともある。

私立探偵が容易に事件現場に出入りし、メモを片手に家族に聞き込みをする。
伝統的なミステリーの造りは、ワクワクというよりもどこか懐かしさすらある。

日本で言うと横溝正史あたりが該当するのかなと思うのですが、そう思うと現代の金田一耕助はもっとエロティックでいいのになと思ったりします。

ちなみに、次男の妻役のアマンダアビントン、どこかで見たことあるな・・・とモヤモヤしていたのですが、思いだした!カンバーバッチの「シャーロック」で、ワトソンの妻を演じた女優さんでした。あぁすっきり。

映画「アメージングスパイダーマン1と2」

自粛で自宅にじっとりいる時ぐらい、スカッとアクティブな映画を観よう・・・と「アメージングスパイダーマン」を1と2続けて観ました。公開後の作品ですと、続編がすぐ観られていいですね。






アメコミ、あまり詳しくないのでその体で話します。

幼い頃両親を亡くし叔母夫婦に育てられたピーターパーカーは冴えない高校生。ただ博士だった父親に似て頭はキレる。
父親のことを知りたい一心で、昔の研究仲間であるコナーズ博士の働く巨大企業オズコープ社に入り込んだピーターは、ある部屋に誤って入り込んでしまい、クモに刺された。
それは遺伝子組み換えされたクモで、まさに父親とコナーズが開発していた研究の一環。
ピーターはそのクモが原因で驚異的な身体能力を手に入れ、やがてスパイダーマンとして活躍していく。



ピーターは正義感はあるし頭はいいのだけれど、ちょっとバカにされているスクールカーストで言えば下の方の人間。
そんな彼が、ある日突然これまでの自分では考えられなかった身体能力を手に入れる。

彼は最初、その力を持て余します。
加減がわからず右往左往しながら苦しみ、そしていい気になり、その中で大事な人を失うことになる。
悲しみと怒りにわく感情をぶつけたのは、己の未知なる力。

人が突然大きなものを手にしてしまった時、想像力の欠落が大きなミスとなる。
ただ欲しい欲しいと思っていたもの、それがどんと自分にのしかかってきた時、人はただ嬉しいだけでなく、責任の重さやそれによって失うものの大きさに茫然としてしまう。

人気、お金、知名度、名声、これはいろんなことに置き換えられると思う。

ピーターはその使い方を大いに誤ることになるのだけれど、やがて自分の器にしっくり治まってくると、元来の頭の良さを生かして、徐々に手懐けていくことに成功する。
彼は真摯に、ニューヨークの事件解決に尽力することに注視し始めるのだけれど、それは必ずしも理解され、称賛されるものではない。
善意からやっていることなのに、なぜ。
正体を明かせないこともあり、ピーターはその矛盾に苦しみ、歯痒く思う。

2になると、事件解決への活躍からすっかり人気者になったスパイダーマンに、熱狂的であるがゆえに歪んでしまう愛情が産む悲劇が描かれています。その敵はエレクトロ。自分の才能をまるで理解されない現状に苦しみ、不満を増幅させている冴えない技術者が豹変したその姿は、不満を満タンにした怪物そのものだった。

一方ピーターは父親の秘密を知り、それが身勝手で私利私欲にまみれたものでないことに安堵するのだけれど、同時に自分に宿った力の意味もすっかり理解する。
彼は本当の意味でスパイダーマンになれたのだけれど、ヒーロー性が定着するがゆえに生まれる軋轢にも悩み始めることになる。
全ての人を救えるわけではない、と言う矛盾。そしてヒーローであるがゆえに誤解される一面。

彼を理解してくれるのは、恋人グウェンだけなのだけれど彼女との関係にも今一歩踏み込めない理由が彼にはあった。

作られた虚像に近づこうとするのがいいのか悪いのか。
友人、家族、恋人、そのどれもに少しずつ秘密を持つことが果たして本当に幸せなのか。
人間らしい一面を持つヒーローだからこその苦悩がそこにはあります。

決してハッピーばかりではないけれど、彼が蜘蛛の糸をシュッと出してビルの谷間を颯爽と駆け巡る姿は爽快。
躍動感にスカッとし、SNSやブログで疲弊した気持ちを滑らかにしてくれる。

誰にでも好かれるヒーローなんていないのだし、どんなに美しく強い仮面をかぶっていても人間なのだから、優しくおおらかに見ればいいんじゃないかと思う。そして不満満タンの怪物エレクトロみたいにならないよう、適度なガス抜きは大事。

デュオのロードムービー、映画「さよならくちびる」

今日は去年上映の邦画「さよならくちびる」を観ました。




ハル(門脇麦)はアルバイト先で気になったレオ(小松菜奈)を誘いギターを教える。
2人はやがてハルの作る曲でユニットを組むことになり、応募してきた元ホストのローディー、シマ(成田凌)とともに3人でツアーを回っている。
人気としてはそこそこあるけれど、メジャーという声もないまま今回7都市を巡るツアーで解散という道を選択している2人。
険悪な雰囲気の仲、シマの運転する車で出かけるのだが。



門脇麦ちゃんは、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ですでに透き通るような歌声を披露していたので実力は知っていたけれど、思いの外小松菜奈ちゃんの高音も良くて人気デュオとしての体裁は保っていました。


セリという人気歌手を熱演。


アマチュアバンドにありがちな、恋愛関係のゴタゴタがあったりして、3人ともギクシャクし始めている。どこにも交わらない三角関係の中で、繋がっている思いはスタートした時に武道館でライブをすると拳を振り上げて誓ったあの瞬間。

孤独で暴力を振るうダメ男ばかりに惹かれてしまうレオ。
一方、独特の詩の世界を持ち、自分の押し隠した想いを吐露するように歌うハル。
そして、バンドの夢を諦め、そこからホストを経た上で、ハルの歌に魅了されてサポートを買って出るシマ。

それぞれがそれぞれの思いの中に沈みながら、車移動の日々が続く。

レオみたいなちょっと気まぐれな女の子、あんまり好きじゃないのだけれど、気まぐれな仲にちゃんとハルやシマへの思いがあって、必死に答えようとする姿に惹かれてしまう。
レオはいい歌を作るハルに複雑な思いを抱えているし、ハルもレオが悩む姿を見るのが辛い。

盛り上がって結成するのは簡単だけれど、いつまでも同じ思いでいることは難しい。

羨んだり、劣等感に陥ったり、通せない思いに苦しんだり。

解散を決意した2人はわざとらしいくらいによそよそしいのだけれど、そこに差し挟まれるかつての2人の姿はすごく素直でまっすくで、その記憶と歴史があるからこそ、今はこじれて本音が見えなくなっている。
一緒にいることが当たり前の2人の青春が、そこにはあります。

若手実力派俳優が揃っただけあって、気持ちがにじむ表情や態度にそれぞれ愛おしさを感じる、とてもいい映画でした。

2人がツアー中に売っていたCD、素敵なジャケットは川島小鳥さんが撮影。
そして何度も披露される歌は、秦基博とあいみょんが提供・・・と豪華尽くし。

この2人CDデビューもしています。



早速ダウンロードしてしまった。
透き通る歌声、いいです。

成田凌くんもこれくらいナチュラルな時の方が好きだなぁ。

さよならくちびる
成田凌
2019-10-11


小松菜奈ちゃんが来ているダボっとしたラフな格好がすごく可愛くて素敵でした。
同世代の人には、こういうファッションセンスも参考になるんじゃないかなー。 

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noteでも色々書いてます。
 

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歴史的背景と苦手なタイプと、映画「マイ・サンシャイン」

「007」の最新作が上映延期になり、しばらくダニエル・クレイグに会えない・・・とガッカリしていたところに、wowowでの今作の上映。
出演者に名前を見つけたところで即録画。

 

内容は全く知りませんでした。

91年にLAで実際に起こった事件をベースにしている物語で、事情があって親と暮らせない子供たちを実の子のように育てている貧しいミリー(ハル・ベリー)と、隣人でちょっと変わり者のオビー(ダニエル・クレイグ)との交流を描いています。

実際に起こった事件というのは、差別問題が根強く絡む「ロドニー・キング事件」と「ラターシャ・ハーリンズ射殺事件」。
いずれも黒人が被害者となった事件で、加害者である白人警官と韓国系の女性経営者が無罪に近いような軽い罪で終わったことにより、暴徒化した市民たちが白人と韓国系の店を狙って放火や略奪を起こした。

ほっとするような隣人との交流や、ミリーが血の繋がらない、人種もバラバラな子供たちを次々と引き取って愛情を注ぐ姿など、心温まるようなエピソードの合間に、裁判が進むにつれて不満を抱え込み怒りが溜まっていく市民の様子が映し出され、緊張と緩和が交互にくることでリアリティがもたらされています。

ただ、ミリーのやっていることは素晴らしいと思うと同時に、無責任に見えるところがあるのが気にな離ました。そしてわあわあと喚く姿などをみると、ちょっと辛い。
そして、ミリーが息子のように育てるジェシーがほのかに恋心を寄せるニコールも、反抗心剥き出しで教師にたてついたり、絡まれたガラの悪そうな酔っ払い相手に強気に返して見せたり、何だか見ていてキリキリしてきました。
青春と言えばそうなのかもしれないし、鬱屈した思いを抱える青年たちということでは正解なのかもしれないけれど、見ていてイライラしてきてしまった。

きっと合わなかったのだと思う。
人種差別問題は自分のこととして考えたことがないし、想像力も乏しくて理解するのが難しい。

ダニエル演じるオビーはミリーと共に、暴動に手を焼く警察官からひょんなことで逮捕されるのだけれど、今は忙しいと手錠で外灯に縛りつけられてしまう。そこからの脱出劇はかなりアナログだけど、面白かった。
(結局よじ登って、外灯の先っちょまで到達し、手錠をかけられた腕を抜くという!)
 
映画も最新作は次々と上映延期のお知らせが届いています。
今は仕方がないのだろうけれど、こんな時には録画したまま放ってある映画をどんどん消化するいいチャンス!
いい作品に出会えることを期待して・・・ 

老いらくの恋は高くつくのか、映画「鑑定士と顔のない依頼人」

続々と春ドラマ開始時期の延期が発表されています。

緊急事態宣言が出されたからには、撮影続行が非常に危ぶまれている状況です。
多くのスタッフ、出演者、エキストラなど撮影は「密集」がつきもの、シーンよっては三密の条件が揃いそうなので仕方ないとは言え・・・エンタメが滞るのは悲しい。

そんな時には、撮り溜めた映画を観るに限る。

今回は2013年の映画「鑑定士と顔のない依頼人」です。

鑑定士と顔のない依頼人(字幕版)
シルヴィア・ホークス
2014-11-02

 
現代は「The Best Offer」
最高の言い値という意味を拾うことができましたし、オークションの用語では「値下げ交渉機能」のことを指すそう。
主人公のヴァージルはオークションで活躍する名美術鑑定士ですので、その辺りの意味もかけられているのかな。

ヴァージルは潔癖で人嫌いの美術鑑定士。その腕は一流で、長年美術品を扱う競売で活躍していた。
ただ、友人で画家崩れのビリーと組み、競売にかけられたお目当ての品(主に女性の肖像)を安く競り落として自宅のコレクションにする、という裏の顔も持つヴァージル。
時には大衆を欺き、真贋を惑わせて安値で買い叩くということもしていた。
特に女嫌いのヴァージルはある日、名指しで両親の遺品の美術鑑定を依頼してきた謎の女クレアの屋敷に招かれる。
電話だけでやりとりをしている女に疑念を抱くヴァージルだが、広場恐怖症というクレアに次第に興味を持ち始め、惹かれるようになってしまう。 



ヴァージルは、どこに行くにも手袋が欠かせない潔癖症で、女性が苦手ゆえに結婚もせずいつも1人で優雅な食事を摂っている。
自宅の膨大なコレクションは自身のこれまでの功績を褒め称えるように、美しい容姿を額に入れ、惜しげもなくヴァージルに晒している。その隠し部屋に1人たたずみ、絵を鑑賞することが彼のエクスタシー。

ところが、一本の電話が彼の運命を狂わせる。
女の名前はクレア。
電話越しに聞く限り若い女であることは間違いなく、ヴァージルとの約束を破ったり、約束の場所に姿を見せなかったり、とそのミステリアスに包まれた存在を忌々しく感じながらも、徐々に惹かれていくヴァージル。

ここに恋愛対象を虜にしていく、見事なセオリーが詰まっているのです。

---ここからはネタバレ有りです------

電話越しのセクシーな声はヴァージルの耳の中にこびりついている。
彼は女嫌いではあるけれど、それはおそらく生い立ちによるもの。美術作品に女性の肖像を選びそれを収集し鑑賞することで欲望を満たしているところから、生身の女性が苦手なだけだとわかる。

女は約束をすっぽかし、会うと言いながらも姿を見せない。怒ったヴァージルは声を荒げて女を罵倒するのだけれど、それが「広場恐怖症」という病気によるものだとわかると、途端に心が揺さぶられてしまう。
自分も長らく、人間と深く関わることを極度に避けてきた。
その人生も重なり、次第にクレアを助けたいと願うようになる。

それはそのままクレアへの恋心に発展していくのだ。

クレアのワガママはそれに止まらず、両親の遺品をオークションにかけたいと言いながらも、売らないと言い出したり、いつでも来ていいと信頼した顔を見せたと思ったら鍵を新品に変えて締め出すなど、子供のワガママのようにひどいものだけれど、ヴァージルは自分の中に芽生えつつある感情に己を制御できなくなっていく。

ついにヴァージルは、決して人と会おうとはしない彼女の隙をついて、その姿を目にするチャンスを得ようと大胆な方法に出る。
実際に見たクレアは予想以上に若くて美しく、その姿はヴァージルの脳裏に深く絡みつく。

もうヴァージルの壊れたブレーキを直す術などなく、彼は仕事も円熟期を迎え余生を穏やかに過ごすはずだった日々を、今度はクレアに捧げる決意をした。
プレイボーイの機械職人ロバートに恋愛相談をしたり、恋をしてしまった少年のような老人には戸惑うことばかりで、クレアとの最良の道を探ろうとあらゆる努力をするヴァージル。

彼はこれまでの人生とは全く別のレールに乗ってしまった。
ついにはパニックに陥ったのか屋敷から忽然と姿を消したクレアを、取り憑かれたように探し回るヴァージル。自分の自信でもあり誇りでもあったオークションの仕事も失敗の連続に終わる始末。
クレアを失う恐怖に怯えるヴァージルはすでにもう魂を抜かれたも同然だった。

ようやくクレアをその手に戻したヴァージルは、2度と離さないと心に誓う。
それからの日々はこれまでに経験したことのないほどに全てが輝き、喜びに満ちた世界。

長らく引きこもっていたために社会性の欠落したクレアとの生活のため、旅の多いオークション会場に出向くのをやめ、ついには引退を決意したヴァージル。

そう、彼の人生は穏やかな愛の生活への期待で大きく変貌を遂げる。

はずだった。

最後の仕事を拍手で見送られ、長年つるんでオークションを欺いてきた友人ビリーとハグでお別れをし、勇んでロンドンから帰ったヴァージルを待ち受けていたのは、

隠し部屋の膨大なコレクションが跡形もなく持ち去られた我が家だった。

もちろんクレアはおらず、彼に残されたのはビリーが描いたクレアの肖像。それは以前、クレアから「母親だ」と言って見せられたものだった。
昔の美術品だと偽られたニセモノは、長年友達だと思い、二流作家だと断罪したビリーの手によるものだったのだ。

一流の観察眼を持ち、その知識と経験で名鑑定士の名前を欲しいままにしてきたヴァージルは、画家としての腕を決して認めなかった友人の、壮大な「贋作の愛」を見抜けずに全てを奪われたのだった。


正直、この老人と若い娘の恋愛には何か裏があるだろうと思ってはいましたが、ほとんどの主要人物がグルというまさかの結果でした。
ビリーが恨むのは仕方がないのかもしれないけれど、ヴァージルが判断した「画家としての腕前は今ひとつ」というのがもし本当のことだとしたら、そこまで恨むのがお門違いだと思えました。
ビリーとしたら、確かな審美眼を持つヴァージルに批判さえされなければ、画家としての未来があったかもしれないと思うのは勝手だけれど、あまりにもワガママだし、これは逆恨みだ。

何かあるだろうと思った時に、もしかしてクレアの過去に何かヴァージルが絡んでいて、それを恨みに思ったクレアがビリーと利害が一致して復讐劇に一役買ったのかと思ったけれど、そんなエピソードは語られずじまい。

もしかして売れない役者とかなのかもしれないけれど、クレアの役どころはヴァージルを虜にし、その上で身も心も一度は許さなければならない重要なもの。
絶対にしくじれないこの役をなぜあの娘にやらせたのか。

正直ここのところが釈然としなかった。

他にもヴァージルは人との距離感が独特で、あまり心を許さないたちであると予想されるのに、機械職人のロバートのことはわりと簡単に信頼を寄せるようになる。
長い付き合いなのかと思っていたけれど、壮大な仕掛け人の1人とするならばそこまで深く長く付き合えたようには思えない。なぜ彼は信頼を勝ち取ることができたのか。

どれもこれも友人としてすぐ隣でヴァージルを見てきたビリーだからこそ、そのツボを容易に想像できたのか。

ラスト、落ちぶれて何かもかも失ったことを悟ったヴァージルが、クレアが語っていた思い出のレストランを訪れ、「待ち合わせだ」とウエイターに言いながら1人、いつ来るともしれない女を待ちわびた顔は人々の喧騒に沈んで終わる。

そのままクレアと知り合っていなければ、もしかしてヴァージルは漫然と仕事を続け、女たちの名画に囲まれながら孤独で安穏とした晩年を過ごしていたかもしれない。
それはクレアとの愛の時間を知らない自分。 何が良かったかなんて死ぬ瞬間ですらわからないのだろうけれど、彼の人生の彩りとしては、良くも悪くも大きな事件であったと言える。
それはきっと、どんな名画にも感じなかったエクスタシーを彼にもたらしたものだと想像する。

ヴァージルの光と影がくっきりとラストシーンに込められる。
喧騒の中、何を思い、何を待つのか。
人生の一番を飾る彼の記憶は、結局はクレアとの愛の日々、なのかもしれない。 
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