自粛で自宅にじっとりいる時ぐらい、スカッとアクティブな映画を観よう・・・と「アメージングスパイダーマン」を1と2続けて観ました。公開後の作品ですと、続編がすぐ観られていいですね。






アメコミ、あまり詳しくないのでその体で話します。

幼い頃両親を亡くし叔母夫婦に育てられたピーターパーカーは冴えない高校生。ただ博士だった父親に似て頭はキレる。
父親のことを知りたい一心で、昔の研究仲間であるコナーズ博士の働く巨大企業オズコープ社に入り込んだピーターは、ある部屋に誤って入り込んでしまい、クモに刺された。
それは遺伝子組み換えされたクモで、まさに父親とコナーズが開発していた研究の一環。
ピーターはそのクモが原因で驚異的な身体能力を手に入れ、やがてスパイダーマンとして活躍していく。



ピーターは正義感はあるし頭はいいのだけれど、ちょっとバカにされているスクールカーストで言えば下の方の人間。
そんな彼が、ある日突然これまでの自分では考えられなかった身体能力を手に入れる。

彼は最初、その力を持て余します。
加減がわからず右往左往しながら苦しみ、そしていい気になり、その中で大事な人を失うことになる。
悲しみと怒りにわく感情をぶつけたのは、己の未知なる力。

人が突然大きなものを手にしてしまった時、想像力の欠落が大きなミスとなる。
ただ欲しい欲しいと思っていたもの、それがどんと自分にのしかかってきた時、人はただ嬉しいだけでなく、責任の重さやそれによって失うものの大きさに茫然としてしまう。

人気、お金、知名度、名声、これはいろんなことに置き換えられると思う。

ピーターはその使い方を大いに誤ることになるのだけれど、やがて自分の器にしっくり治まってくると、元来の頭の良さを生かして、徐々に手懐けていくことに成功する。
彼は真摯に、ニューヨークの事件解決に尽力することに注視し始めるのだけれど、それは必ずしも理解され、称賛されるものではない。
善意からやっていることなのに、なぜ。
正体を明かせないこともあり、ピーターはその矛盾に苦しみ、歯痒く思う。

2になると、事件解決への活躍からすっかり人気者になったスパイダーマンに、熱狂的であるがゆえに歪んでしまう愛情が産む悲劇が描かれています。その敵はエレクトロ。自分の才能をまるで理解されない現状に苦しみ、不満を増幅させている冴えない技術者が豹変したその姿は、不満を満タンにした怪物そのものだった。

一方ピーターは父親の秘密を知り、それが身勝手で私利私欲にまみれたものでないことに安堵するのだけれど、同時に自分に宿った力の意味もすっかり理解する。
彼は本当の意味でスパイダーマンになれたのだけれど、ヒーロー性が定着するがゆえに生まれる軋轢にも悩み始めることになる。
全ての人を救えるわけではない、と言う矛盾。そしてヒーローであるがゆえに誤解される一面。

彼を理解してくれるのは、恋人グウェンだけなのだけれど彼女との関係にも今一歩踏み込めない理由が彼にはあった。

作られた虚像に近づこうとするのがいいのか悪いのか。
友人、家族、恋人、そのどれもに少しずつ秘密を持つことが果たして本当に幸せなのか。
人間らしい一面を持つヒーローだからこその苦悩がそこにはあります。

決してハッピーばかりではないけれど、彼が蜘蛛の糸をシュッと出してビルの谷間を颯爽と駆け巡る姿は爽快。
躍動感にスカッとし、SNSやブログで疲弊した気持ちを滑らかにしてくれる。

誰にでも好かれるヒーローなんていないのだし、どんなに美しく強い仮面をかぶっていても人間なのだから、優しくおおらかに見ればいいんじゃないかと思う。そして不満満タンの怪物エレクトロみたいにならないよう、適度なガス抜きは大事。