映画「人間失格」を観ました。




太宰治(小栗旬)はその生き方までもがニュースとなる文壇のお騒がせもの。
そのデタラメさ加減に陰口を叩かれる毎日だが、才能と色気のある太宰には次から次へと女が言い寄ってくる。
太宰の才能を信じ、影となって支えながら子供3人の面倒を見る妻美和子(宮沢りえ)、文学的才能を太宰から見出され、愛人でも構わないと子作りをねだるバツイチの女静子(沢尻エリカ)、そして太宰の最後の女とされ、身も心も捧げ健気に尽くす女富栄(二階堂ふみ)。
次回作をねだる出版社の思惑とは裏腹に、産みの苦しみに酒とタバコと女に溺れていく太宰。その生き方は彼自身を蝕み、やがては吐血を繰り返すほどの肺の病魔に侵される。
彼の作品をまともに汲み取ろうとしない一般大衆、その的外れな評価はそれでも太宰作品の人気を押し上げる。

彼は自身も納得いくような「最高傑作」を太宰は果たして生きている間に書けるのだろうか。



太宰は最低のオトコなのだけれど、その危うさと苦悩、そして無闇に快楽を求めるような堕落した一面があり、それに女たちは惹かれていく。 
彼は傑作こそが最高に売れる作品だと信じているが、薄々小説の真の意図を汲み取ってくれるような読み手は一般大衆には存在しないとわかっている。

ただ、彼は書く。
生きているから書かされているのか、書いているからこそ生かされているのか。

彼自身もわからないまま、女に請われ優しく愛し、フィクションの世界と行ったり来たりを繰り返す。
とにかく今ならば、「クズ男」と一笑に付して終わりそうな生き方。

当時の小説家という地位がどの程度なのかはわかりませんが、強烈に彼を愛する女は個性の強い面々ばかり。
彼の子供を産みたい、彼と一緒に死にたい、そして、彼の最高傑作が読みたい。 

太宰作品はそんなに詳しくはないのですが、吐血しながらも鬼気迫るオーラで書き上げる小説。
それに恋し、奪い合う女たち。

そんな太宰はおそらく妻美和子を一番に大切に思っていたのではないでしょうか。

それを最も感じるシーン。

愛人と遊び歩き、気ままに夜中に帰って妻が用意したおにぎりを夜食として頬張る太宰。 
背中を向けて子供と共に寝入っている美和子の背中に聞こえるように声を発するのですが、美和子は知らん顔。そんな美和子の気を引こうと「あ、虫だ。虫がいる」と大げさに叫ぶ太宰。
とうとう根負けした美和子が、丸めた雑誌を手に「どこですか」と起き上がるのだけれど、当然虫はいない。
自分のわがままで家を空けておいて、妻から構われなければそれはそれで寂しい。

この太宰の振る舞いから、子供のような純粋な男の一面を垣間見ることが出来、タバコをふかし、女をたらしこみ、酒を煽って悪態をつくロクでもない太宰の中に愛らしさを感じてしまうのです。

おっと危ない、これでは静子や富栄と変わらない。
それにしても、愛人でも妻でも、こんな手の焼ける男と恋仲になるのは、地獄だなと思えてきます。
ただしその地獄にこそ、恋することのいじらしいリア充があるのかもしれません。

蜷川実花監督作品では、前回の「ダイナー」の方が好きでしたが、今回の作品も映像美を存分に感じられ、アート作品としても楽しめます。
太宰小栗、良かった!