映画「生きているだけで、愛。」を観ました。



鬱からくる過眠症に陥り、朝から晩までだらだらと過ごす寧子(趣里)。そんな彼女と3年同棲している津奈木(菅田将暉)は、物書きになりたかったが現実はしがないゴシップ雑誌のライターで消費されるばかりの文章を量産していた。
仕事に疲れきって同じような毎日を過ごしている津奈木。掃除すらしない寧子に文句を言うでもなくただご飯を買い、コーラを買い、別の部屋で眠る。
そんなある日、寧子はひょんなことから気の進まないカフェバーでのアルバイトをすることになった。周囲の優しさに触れ、次第に変われると思う寧子だったが・・・



とにかく寧子にイライラします。
そんなことは彼女自身もわかっているし、周囲からも嫌味を言われながらもどうすることもできずにイライラと津奈木に当たったりする。

何だよ、どうにかしようって思わないのか。

そんな風にイライラしてしまうのは、寧子に並々ならぬ敵対心を抱き、執拗に絡みつく安堂(仲里依紗)と同じ気持ちだからかもしれない。

誰だって辛いからって投げ出したり、ダラダラ生きてなんていない。誰でも我慢しているんだから。

お前も我慢しろ。


自分でもゾッとする自分の本音が見え隠れして苦しい。

寧子が働くことになったカフェバーは、1人アルバイトを雇っているがその子がもと引きこもりだったという子で、おそらく1人の人生復活を手助けしたことで、オーナー夫婦は自信があるのだと思う。
怯えながら、「普通の」生活に馴染もうと頑張る彼女に、とても軽く「寂しかっただけ」「そのうち大丈夫になるよ」と安請け合いする。

温かな接し方をして、時々叱咤する、元気で健全な私たちが気持ちをかけてやることで必ず立ち直れる。
そんな風に感じている方こそ、自分勝手でエゴなのではないのか。

自分を別に批判されているわけでもないのに、寧子が必死で喘ぐ姿に途中で感情移入してしまいました。

仕事に疲弊し、人との距離感をわざわざ遠くにとってしまう津奈木を菅田将暉くんがすごく丁寧に演じていました。そして、体当たりの演技で、人をイラつかせる精神不安定の女を趣里さんが健気に逞しく演じていて清々しい。

救いなど何もないのだけれど、人生に疲れ、自分でいることをやめたい、と思う人には寧子はどう映るのか、一度聞いてみたい気もします。
きっと寧子は人よりも真面目すぎて、誰にも嘘をつけないからこそ苦しいのだと、そんな風に思えました。

本谷さんの原作、読んでみたいです。